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言い分


しんとして車の走る音もきこえない。
昼間は、かなりの車が走っていてうるさいのに、
今夜は、もしかしてわたしは宇宙に漂っているのか、
と錯覚するほど周囲に音がない。
鳴く虫もいないのだろうか。
こんな夜もあるのだ。


頑固婆さんは、またまたここで死んでもいい
と言い張るようになった。


「病院で死のうが、家族に見守られて死のうが、
孤独に一人で死のうが、死ぬのに変わりはない。
家族がいたって、死ぬときは意識がないんだから、
どこで、どんな状況で死んだってみな同じよ」
と言い放った。


「わたしだっていろいろ考えますよ。
粗相なんかして、汚いだの何だのと、
文句言われるのはいやだし、
他人の目を気にして生きたくない」
という気持ちはよくわかる。


頑固婆さんの心理については、
連れ合いともあれこれ推測しあってきた。
あらゆる機能が衰えてきて、
粗相したりして気兼ねするのもいやなんだろうね、
そういう姿を娘には見せても、
それ以外の家族には、見せたくないに違いない。
うんうん、俺もその気持ちはよくわかるよ。
俺だって、年取ったら同じ心境になるよ。
という会話は、何度も交わしてきたのだ。


つまり、そういう状態を受け入れようね、
そういう覚悟もしておこうねという暗黙の了解を、
交し合っていたわけだが、
どこで死んでも同じだといわれては、
ぐうの音も出ない。


天晴れなほどしっかりしている婆さんだが、
年齢相応に、老人特有の被害妄想も発達している。


置き忘れたものや、記憶の混濁で、
あると思ったものがなかったりすると、
それは、誰かが嫌がらせでやったか、
盗まれたのだと結論する。


日常のこまごまとした価値のない小物を、
盗んでどうするというのか!
誰がいつ、家に上がりこんだというのか。
まったく理屈に合わないことなのだが、
それを説明しようとすると、
「どうせ信じてもらえないと思った、
誰も老人の言うことに耳を貸さない」と怒る。


同居すればこういうことも頻繁に起こるに違いない。
それは確かに不快な状況だ。
ひとりで暮らしていたほうが気分はずっと楽」
という明快なお言葉に納得はするわたし。


またまた振り出しに戻ったよ
と、婆さんの元気さにほっとしたり、
まだまだ田舎通いを続けねばならないのか
とうんざりしたり、
いや、田舎が存続することはいいことだ、
と思ったり、
複雑な思いが去来する頭を抱えて、
わたしはおとといから田舎にいるんだよね。



http://hazakura.blog.so-net.ne.jp/2008-10-22

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