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子育て最前線の育児論byはやし浩司 8月 10日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(324)
●伸ばす子育て
子育てにも、伸ばす子育てと、つぶす子育てがある。伸ばそうとして伸ばすのであれば、
問題はない。つぶす子育ては論外である。問題は、伸ばそうとして、かえって子どもをつ
ぶしてしまう子育て。これが意外に多い。子育てにまつわる問題は、すべてこの一点に集
中する。
その人の子育てをみていると、「かえってこの人は子育てをしないほうがいいのでは」と
思うケースがある。たとえば過関心や過干渉など。親が懸命になればなるほど、その鋭い
視線が子どもを萎縮させるというケースがある。しかもそういう状態に子どもを追いやり
ながらも、「どうしてうちの子は、ハキがないのでしょう」と相談してくる。
あるいは親の過剰期待や、子どもへの過負担から、子どもが無気力状態になるケースもあ
る。小学校の低学年で一度そういった症状を示すと、その後、回復するのはほとんど不可
能とさえ言ってよい。しかしそういう状態になってもまだ、親は、「何とかなる」「そんな
はずはない」と無理をする。
で、私が学習に何とか興味をもたせ、何とか方向性をつくったとしても、今度は、「もっと」
とか「さらに」とか言って無理をする。元の木阿弥というのであれば、まだよいほうだ。
さらに大きな悪循環の中で、やがて子どもはにっちもさっちもいかなくなる。神経症が悪
化して、情緒障害や精神障害に進む子どももいる。もうこうなると、打つ手はかぎられて
くる。(実際には、打つ手はほとんどない。)
が、この段階でも、親というのは身勝手なものだ。私が「三か月は何も言わないで、私
に任せてほしい」と言っても、「うちの子のことは私が一番よく知っている」と言わんばか
りに、またまた無理をする。このタイプの親には、一か月どころか、一週間ですら、長い。
がまんできない。「このままではますます遅れる」「うちの子はダメになる」と、あれこれ
してしまう。そしてそれが最後の「糸」を切ってしまう。
問題は、どうして親が、かえって子どもをつぶすようなことを、自らがしてしまうかと
いうこと。そして結局は行きつくところまで行かないと、それに気がつかないかないのか。
これは子育てにまつわる宿命のようなものだが、私がしていることは、まさにその宿命と
の戦いであるといってもよい。言いかえると、今、日本の子育てはそこまで狂っている。
おかしい。そう、その狂いやおかしさに親がいつ気がつくか、だ。それに早く気づく親が、
賢い親ということになる。
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(325)
●ずる休みの勧め
「学校は行かねばならないところ」と考えるのは、まちがい。私たち日本人は明治以後、
徹底してそう教育を受けているから、「学校」という言葉に独特の響きを感ずる。先日もテ
レビを見ていたら、戦場の跡地でうろうろしている子ども(10歳くらい)に向かって、「学
校はどうしているの?」と聞いていたレポーターがいた(アフガニスタンで、02年4月)。
その少し前も、そのシーズンになると、海がめの卵を食用に採取している子どもたちが紹
介されていた。南米のある地域の子どもたちだった。その子どもたちに向かっても、レポ
ーターが「学校は行かなくてもいいの?」(NHKテレビ)と。
日本人は子どもを見れば、すぐ「学校」「学校」と言う。うるさいほど、そう言う。しか
しそういう国民性が、一方で、子どもをもつ親たちをがんじがらめにしている。先日も子
どもの不登校で悩んでいる親が相談にやってきた。そこで私が「学校なんか、行きたくな
ければ行かなくてもいいのに」と言うと、その親は目を白黒させて驚いていた。「そんなこ
とをすれば休みグセがつきませんか」とか、「学校の勉強に遅れてしまいます」とか。しか
し心配はご無用。
学校へ行くから学力や知力がつくということにもならないし、行かないから学力や知力
がつかないということもない。さらにその子どもの人間性ということになると、学校はま
ったく関係ない。むしろ幼稚園児のほうが、規則やルールをよく守る。正義感も強い。そ
れが中学生や高校生なると、どこかおかしくなってくる。「スリッパを並べてくれ!」など
と頼もうものなら、即座に、「どうしてぼくがしなければいかんのか!」という声がはね返
ってくる。人間性そのものがおかしくなる子どもは、いくらでもいる。
そこでずる休みの勧め。ときどき学校はサボって、家族で旅行すればよい。私たち家族
もよくした。平日にでかけると、たいていどこの遊園地も行楽地もガラあきで、のんびり
と旅行することができた。またそういうときこそ、「子どもを教育しているのだ」という充
実感を味わうことができた。よく「そんなことをすれば、サボりぐせがつきませんか?」
と心配する人がいた。が、それも心配ご無用。たいていその翌日、子どもたちはすがすが
しい表情で学校へでかけていった。ウソだと思うなら、あなたも一度、試してみるとよい。
こういう話を読んで、目を白黒させている人ほど、一度、勇気をだしてサボってみるとよ
い。あなたも明治以後体をがんじがらめにしている束縛の鎖を、少しは解き放つことがで
きるかもしれない。
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(326)
●コンピュータウィルス
このところ(02年5月)、毎日のようにコンピュータウィルスの攻撃を受けている。一
応、二重、三重のガードをしているから、このガードが破られることはまずない。そのウ
ィルス攻撃を受けながら、いろいろなことを考える。
よく雑誌などを読むと、いかにも頭だけはキレそうな若者が、したり顔で、ウィルス対
策を論じていたりする。しかし私には、そういう男と、どこかの暗い一室でコソコソとウ
ィルスをばらまいて楽しんでいる男(多分?)が区別できない。雑誌に出てくる男に、そ
れほど強い正義感があるとも思えないし、同時にウィルスをばらまいている男が、その男
と、そんなに違うとも思えない。どちらの男も、ほんの少し環境が変わったら、別々の男
になっていたかもしれない。人間のもつ正義感などというものは、そういうものだ。
もう一つは、こういうウィルスをつくる能力のある人間は、それなりに頭のよい男なの
だろうが、どうしてそういう能力を、もっと別のことに使わないかという疑問。もっとも
この私でも、簡単なウィルスくらいなら自分でつくることができる。ファイルに自動立ち
あげのプログラムを組み込めばよい。あとはランダムに番地を選んで、適当に自己増殖の
プログラムを書き込めばよい。言語はC言語でもベーシックでもマクロでもよい。私の二
男にしても、高校生のとき、すでに自分でワクチンプログラムを作って、ウィルスを退治
していた。だからたいしたことないと言えばたいしたことはないが、それにしても「もっ
たいない」と思う。能力もさることながら、時間が、だ。
つぎに今は、プロバイダーのほうでウィルスチェックをしてくれているので、ウィルス
が入ったメールなどは、その段階で削除される。で、そのあと、私のほうに、その旨の連
絡が入る。問題はそのときだ。プロバイダーからの報告には、つぎのようにある。「○○@
××からのメール、件名△△にはウィルスが混入していました……」と。
そこで私は、その相手に対して、その内容を通知すべきかどうか迷う。いや、最初はその
つど、親切心もあって、「貴殿のパソコンはウィルスに汚染されている可能性があります」
などと、返信を打っていた。しかしこのところそれが多くなり、そういう親切がわずらわ
しくなってきた。
で、最近はプレビュー画面に開く前に、プロバイダーからの報告そのものを削除するよう
にしている。で、ハタと考える。「私もクールになったものだ」と。いや、こうしたクール
さは、コンピュータの世界では常識で、へたな温情(スケベ心)をもつと、命取りにすら
なりかねない。(事実、過去において、何度かそういう経験があるが……。)だから、あや
しげなメールは、容赦なく削除する。しなければならない。そしてそれがどこかで、私が
本来もっている、やさしい人間性(?)を削ってしまうように感ずるのだ。あああ……。
このところインターネットをしながら、いろいろと考えさせられる。これもその一つ。
(注:あやしげなメールには、ぜったいに返信をかけてはいけない。
無視して削除すること。
これはこの世界では、常識。
この原稿を書いた時には、まだそれがよくわかっていなかった。)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●幻惑
++++++++++++++++++
「幻惑」に苦しんでいる人は多い。
「家族だから」「親だから」「長男だから」と。
意味のない『ダカラ論』で、体中が、がんじがらめになっている。
ふつうの(苦しみ)ではない。
悶々と、いつ晴れるともわからない苦しみ。
その苦しみが、ときとして、その人を押しつぶす。
「幻惑」……「家族」という独特の世界で生まれる、
精神的呪縛感をいう。
++++++++++++++++++
●呪縛感からの解放
本来なら、親のほうが気を使って、子どもが家族のことで、苦しまないようにする。
それが親の(やさしさ)ということになる。
親の(努め)ということになる。
親は、また、そうでなければならない。
が、世の中には、いろいろな親がいる。
「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せるだけではなく、そのつど、
真綿で口を塞ぐようにして、子どもを、苦しめる。
そんな親もまだ多い。
実のところ、私の母もそうだった。
わざと私の聞こえるところで、他人と、こんな会話をする。
「○○さんところのA君は、立派なものじゃ。今度、両親を、温泉へ連れていって
やったそうだ」とか、など。
あるいはその一方で、こんな話もする。
「△△さんところの嫁は、ひどい嫁じゃ。親には、親子どんぶりを食べさせ、自分は、
うな丼を食べていたそうだ」とか、など。
あるいは、「親の葬式だけは、家屋敷を売ってでも、立派にやれ」とも言った。
私はこうした話を、子どものころから、耳にタコができるほど聞かされた。
もっとも子どものころは、まわりの人たちがみな、同じようなことを言っていたことも
あり、それほど疑問には思わなかった。
私が疑問に思い始めたのは、やはり高校生になってからだと思う。
だからある日、私は突然、叫んだ。
「いつ、お前に、産んでくれと頼んだア!」と。
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